国指定重要無形民俗文化財 長崎くんち令和五年度(2023年度)六ヶ町の踊町紹介
令和五年度(2023年度)奉納踊り町
(左より前日の踊り順番に記載しています。中日・後日は、順番が変更になります)
桶屋町(おけやまち)
<町名の由来>
昔、中島川沿いに桶職人が多く住んでいたことによりこの町名が付いたとされる。外町に属する職人町です。
<傘鉾>
飾(ダシ) 桶屋町の傘鉾は、からくり仕掛けで飾られた傘鉾です。朱塗りの台の上に南蛮渡来の白象をのせ、象の背には金色の異国の宮殿を配し、
宮殿内にはブロンズ製の紅毛人が椅子に座り、象の両腹には硝子の丸抜きをはめた時計があるが、この時計が回るごとに南蛮人は鐘をたたき、下の像は鐘の音に合わせて鼻を巻き上げ動く。
輪はビロード町名金刺繍文字
垂模様は紫錦地、裾 業平菱に鳳凰段 本金箔通し縫取3丁織、上部本金手刺繍三社紋。
十二支刺繍の垂れは上部の時計の十二支に合わせて造られたもので、安永元年(1772年)製作。長崎工芸史上貴重(長崎市指定有形文化財)
<奉納踊り>
本踊 長唄 「諏訪祭紅葉錦絵・すわまつりもみじのにしきえ」
船大工町(ふなだいくまち)
<町名の由来>
昔この町は海に面した町で、船の修理場などがあり、船造りにかかわる船大工が多く住んでいたのでこの町名となった。
寛永の頃は新船大工町と称していたが正保の頃、船大工町と改められる。
<傘鉾>
飾(ダシ) 町名にちなんで、檜板葺屋根型の上に金銀日の丸の扇を円くして掲げた棟上げ、二本柱に陰陽の鏑矢(かぶらや)・中央に町名を刻し三つ巴の金紋を附けた木槌を配し、奉祝の意を表している。
くんち唯一の輪のない傘鉾。
垂模様は蝦夷錦 金襴織出、牡丹唐草地紋に五爪の龍の模様。
<奉納踊り>
町名の「船」にちなんで川船。
飾(ダシ)紅葉に白菊
川船を漕ぎ出し魚を投網で捕らえ、その魚を諏訪神社に奉納する様子を表現。激流に逆らう船の様子を根曳衆が演出してみせる。
見せ場は、網打ち船頭によって「ヨ~イッ」の掛声とともに放たれた投網が大きく輪を描き、魚の群れを捕らえる、「網打ち」の演技。
栄町(さかえまち)
<町名の由来>
戦後(昭和38年)の町名改変で、袋町(全体)と本紺屋町と酒屋町の一部が合併されてできた町。
<傘鉾>
飾(ダシ) 四季模様を大和絵で描いた二組の蛤に紅葉を配したもの。
初日、諏訪の踊馬場で舞う、蝋引きの紅葉をあしらった栄町の傘鉾が朝陽を浴びると、しっとりとした鮮やかな赤が映えてなんとも言えぬ美しさを見ることができます。
輪は黒ビロード
垂模様は白塩瀬羽二重に金糸にて三社紋。気品があって白の垂れが朝陽に映えて美しい。
<奉納踊り>
本踊 新邦楽楽 「阿蘭陀萬歳・おらんだまんざい」
団扇を持ったゆったりと貫禄のある万歳と、鼓を持ったちょこまかとコミカルな才蔵二人が、団扇や鼓を取り合ったり、ふと遠く故郷を思って涙したり、コミカルに舞う。万歳と才蔵のボケと突っ込みが面白い。また、子どもたちの参加で、子どもたちのかわいい仕草も見所。
日本に漂流した二人のオランダ人が生計を立てるため「万歳」「才蔵」となり、万才をしながら正月を祝って回ったのが、この阿蘭陀萬歳の基となっている。
本石灰町(もとしっくいまち)
<町名の由来>
本石灰町は、前面の銅座が埋地になるまでは海岸に面しており、綿実から油を精製する際に使用する石灰を荷揚げしていたことにより、石灰町と呼ばれていた。
その後、油の需要に伴い石灰の移入が多くなり油屋町をはさんで対岸に今石灰町、新石灰町が形成され、そのときに石灰町は本石灰町と称されるようになった。
この石灰はマカオ(天川:アマカワ)より輸入しており長崎ではアマカワシックイと呼ばれていた。
諏訪三神の一柱である住吉明神は、この町の尾崎に在った。
<傘鉾>
飾(ダシ) 平成11年新調された傘鉾で、御朱印船主荒木宗太郎が豊臣秀吉より初めて朱印状を受けたことから秀吉が戦に向かう際使用した印千成瓢箪に因み大小の瓢箪一対を台上に載せてある。
又町内の奉納踊り御朱印船に合わせて正面に「御朱印状」、後面に安南(ベトナム)側から出された交易の保証書金札を配す。
輪はビロード町名金刺繍文字 大浦澄泉書
垂模様は赤染め塩瀬羽二重にアニオー行列を刺繍で再現、房は組紐平緒に玉を鏤め四本で東西南北を表す(原田壙増氏寄贈)。
<奉納踊り>
御朱印船
逆さVOCの旗は豪商御朱印船主荒木宋太郎が記した「オランダ東インド会社の社章VOC」。荒木宗太郎が、阿南(ベトナム)でめとった王女アニオーを連れて長崎に引き揚げてくる。その華やかな行列と勇壮な船回を奉納する。この御朱印船が港に入る様子から、大海へ出て大波に揉まれる様子を[静と動]で表し、
長さ5メートル、総重量5トンの船が楽器を鳴らす子供達を乗せ石畳の上を激しく船が回ります。
丸山町(まるやままち)
<町名の由来>
隣接する寄合町とともに傾城町と称されたが、はじめは太夫町と称されたという。「寄合町諸事書上控帳」には博多町(後の古町)で
遊女を抱える宿屋があり、これを寛永16年(1639)に移転し丸山町と称したとある。
<傘鉾>
飾(ダシ) 初期の単純な形であった傘鉾の様式を残している。傘鉾の飾り物は朱塗四方台に町名(丸山町)を刻した金色の丸額を立て、台の下には金色花獅子の香炉を配置している。
輪>はビロード。
垂模様は塩瀬羽二重に三社紋金糸縫。
<奉納踊り>
本踊 長唄 「唐人共祝崎陽祭・とうじんとともにいわうきようのおまつり」
万屋町(よろずやまち)
<町名の由来>
昔は鍛冶屋町と称したが、寛文12年(1635)本鍛冶屋町となり。延宝六年(1678)に萬屋町となる。歩道には鯨の街頭、敷石には鯨のイルミネーションと鯨尽くし。骨董・雑貨販売の店が多くあった町(万屋)。
<傘鉾>
飾(ダシ) は角樽二組重ね、鰹節七五三連
輪はビロード町名金刺繍文字
垂模様は、江戸時代後期に製作された長崎刺繍の29尾の魚尽くしで、平成15年5月1日に長崎市有形文化財に指定された。この町にかって魚問屋があったことにちなむもので、刺繍は文政10年(1827)縫屋幸助(下絵・原南嶺斎)による作品と弘化5年(1848)
塩屋熊吉による作品の新旧二種類が存在する。長崎刺繍工芸史上貴重な資料である。
※今年2013年、万屋町の傘鉾を飾る長崎刺繍の垂れ「魚尽くし」が約200年ぶりに新調された。長崎刺繍の職人、嘉瀬照太氏(61)が12年がかりで鯛や海老など16種29匹を刺繍した力作で。10月3日の「庭見せ」で初公開された。
<奉納踊り>
鯨の潮吹き
安永年間より続く有名な鯨曳。船団を組んで鯨漁に出かける漁師たちの様子を描いています。おやじ船の船頭の口上から根曳衆の祝い歌、そして「ヨッシキリヨイサ」の掛声が踊り馬場に響き、潮を噴きながら大海を暴れ回る鯨の荒々しさを踊り場いっぱいに回り表現します。
また、後日(9日)には、鯨に網がかかり捕獲を表現、囃子(はやし)小屋に綿をかけて雪景色を表し、晩秋から初冬に行われていた捕鯨の季節観を表す演出もあり、見ている人を飽きさせません。鯨の種類はセミクジラ、重さは2t、体長6m、胴回り6m。潮を吹き上げますがあれは人間が二人中に乗り込んでのポンプ作業。