もってこ~い「長崎くんち」

  参考資料:長崎くんちの栞・長崎くんち赤本

  ● 長崎くんち令和六年度(2024年度)奉納踊町七ヶ町

前回 平成26年度(2014年度)奉納 ・ 次回 令和13年(2031年度)奉納予定
踊町とは、その年に奉納踊を披露する当番の町を踊町と言います。現在、長崎市内に全部で59カ町存在し、7つの組に分けられています。当番は7年一巡となっており、長崎くんちの演し物を全てを観るには7年間踊場に通いつめなければなりません。

長崎くんち踊町
過去7年間に踊町として出演した町のみ演し物を記載しています。
  興善町  傘鉾 ・ 本踊(ほんおどり)「石橋(しゃっきょう)」
  八幡町  傘鉾 ・ 弓矢八幡祝い船(ゆみやはちまんいわいぶね)・山伏道中・剣舞
  万才町  傘鉾 ・ 本踊(ほんおどり)
  西濱町  傘鉾 ・ 龍船(じゃぶね)・二胡演奏(にこえんそう)
  麹屋町  傘鉾 ・ 川船(かわぶね)
  銀屋町  傘鉾 ・ 鯱太鼓(しゃちだいこ)
  五嶋町  傘鉾 ・ 龍踊(じゃおどり)

興善町(こうぜんまち)

<町名の由来>
 商いのために博多から進出してきた末次興善という人が建てた町だと伝えられています。その後、後興善や新興善などが出来る。昭和38年、興善町と周辺の新町や豊後町、引地町、 堀町の一部を合併して現町域となっている。
<傘鉾>
飾(ダシ) 八つ足に烏帽子、鈴をいただき両側に紅葉を配したもの
輪   〆縄飾り
垂模様 塩瀬羽二重、裾より上方にかけて緋の隈取り、上部に五彩の瑞雲、三社の紋を金糸で刺繍
<奉納踊り>
本踊(石橋・しゃっきょう)
長唄 時秋諏訪宮日獅子賑(ときはいますわのまつりにししのにぎわい)
 明治大正の頃は「小薩摩踊り」など、現在は「本踊」

八幡町(やはたまち)

<町名の由来>
 本紙屋町より遅れて成立したことから新紙屋町とも新紙漉町とも呼ばれた。寛永19年(1642)当町などにあった遊女町を丸山・寄合町に移したという。 町内に八幡神社が奉祀されていた事から、延宝8年(1680)町名を八幡町と改称した。南画の大家、木下逸雲はこの町の乙名を勤めていた。
<傘鉾>
飾(ダシ) 朱塗りの矢立と重籐の大弓2張24座の黒斑(くろふ)の征矢(そや)白鳩が三羽留まる。
輪   〆縄飾り
垂模様 塩瀬羽二重・手描き友禅染、男山八幡宮の景に白鳩三羽がはばたく姿を金駒・相良・平縫い三種の刺繍仕上げ
<奉納踊り>
弓矢八幡祝い船・剣舞・山伏道中
 昭和53年までは「剣舞」「山伏道中」など。昭和60年から「弓矢八幡祝い船・山伏道中」、平成5年から「剣舞」が加わる。

万才町(まんざいまち)

<町名の由来>
 町建て6ヵ町の一つで島原町と呼ばれる町であったが、明治5年に明治天皇の長崎行幸を記念して萬歳町と改称された。 昭和38年に平戸町、大村町、本博多町の全部と五島町、樺島町、外浦町、本下町の一部を合併して現町域となる。
<傘鉾>
飾(ダシ) 朱塗りの盃に萬歳の金箔文字、神楽鈴を前に後ろに御幣を立てる。朱盃の萬歳の文字は北村西望先生、満百歳の揮毫
輪   黒ビロードで町名を金糸で刺繍
垂模様 塩瀬羽二重亀甲に鶴の模様入り金銀の刺繍。
<奉納踊り>
本踊
祭祝萬歳町(まつりをいわうまんざいまち)
 「本踊」(平成5年・12年・19年と「祭礼祝い長崎万歳」)

西濱町(にしはまのまち)

<町名の由来>
 寛文12年濱町を分割して出来た町。町域に薩摩藩蔵屋敷、久留米藩蔵屋敷、五島藩蔵屋敷などがあった。
 現在は、浜の町と銅座町に合併されているが、昔の町名で出場。
<傘鉾>
(前日)薄水色羅紗中国姑蘇十八景図 刺繍(文化・文政2年作)
(後日)塩瀬羽二重三社御紋金絲縫
飾(ダシ) 文化・文政年代作。源氏物語絵具箱二個紅葉2株と白菊をあしらう
輪   黒羅紗、金糸で町名を刺繍
    町名題字 中国人 鶴笙王鉞氏
    町名羅馬字 瑞典北極探検家 ノルデンシェルド博士
垂模様 姑蘇十六景の絵と来舶清人の詩文
<奉納踊り>
龍船・じゃぶね
二胡演奏  李 文馨(シシー・チィ)

麹屋町(こうじやまち)

<町名の由来>
 今紺屋町との間に新紺屋町があったが、のちにその一部を編入している。味噌や醤油を作る際に使用する麹職人や店が多く集まってきたことにより現在の「麹屋町」へと改称された。
 町内には光源寺の飴屋の幽霊にまつわる幽霊井戸の伝説がある。江戸時代の奉納踊は「お茶献上の大名行列」で、総勢300人を超える通り物であった。
<傘鉾>
飾(ダシ) 献上紅白梅、根〆熨斗、麹蓋
輪   〆縄飾り
垂模様 綴綾織 三社御紋ちらし
<奉納踊り>
川船
飾(ダシ) 水しぶきを上げながら躍動する緋鯉と真鯉
 昭和32年までは「本踊」、昭和39年から「川船」

銀屋町(ぎんやまち)

<町名の由来
 町名は銀細工職人の集住によるものであろう、白銀町(しろがね)とも呼ばれていた。昭和41年(1966)に町界町名の変更により鍛冶屋町と古川町になりましたが、 平成19年(2007)1月に旧町名に復活し銀屋町に。町内には寛政元年(1789)阿蘭陀小通詞となった今村金兵衛や御用斗圭師(時計師)で蘭学者でもあった上野俊之丞が居住していた。
<傘鉾>流金出世鯉
飾(ダシ) 金色の出世鯉(鯱)が今にも水面より天に踊り昇ろうとするところ 製作・文政三年庚辰九月吉祥日 山本泰助長英 作
輪   黒のビロードに町名の文字は、銅版切抜文字純金焼付
垂模様 塩瀬羽二重飾りに対し新綴織荒波模様染出。緋織幕紋 <奉納踊り>
鯱太鼓
 大正頃までは「大名行列」、昭和25年から「本踊」、昭和60年からは「鯱太鼓」

五嶋町(ごとうまち)

<町名の由来>
 本五島町と浦五島町に分かれていたが、昭和10年に合併して五島町となる。
  ※ 本五島町:近世初期、海岸部はオランダ船や中国船の停泊所となっており、貿易商人の居宅や倉庫などが立ち並び、長州萩藩蔵屋敷が置かれていた。
  ※ 浦五島町:天正6年(1578)頃に成立した五島町の西手に、同13年頃、新町が起立し浦五島町と称した。
 筑後柳川藩蔵屋敷、筑前福岡藩蔵屋敷、佐賀藩深堀鍋島屋敷、佐賀藩諫早屋敷、佐賀鹿島藩蔵屋敷が置かれてあった。銅貿易の中心となった住友長崎店が営まれていた。
<傘鉾>
飾(ダシ) 棗形と六角形の虫籠に菊とススキを配するこの傘鉾はシーボルト著「日本」に紹介され、江戸期からの伝統を残している。
輪   黒ビロードに大浦澄泉先生揮毫の町名を金糸長崎刺繍にて現す
垂模様 日本三景綴織り出し、裏地塩瀬羽二重(前日、中日)
    都菊 綴織り出し、裏地塩瀬羽二重(後日)
<奉納踊り>
龍踊
 平成5年までは「本踊」、平成12年から「龍踊り」